更新日時で差をつけろ

もはや更新日時でしか差を付けられない

「視点をずらす思考術」「今を生きるための現代詩」を読んだ

書き始めてから途中で放置して、3週間ぐらい経ってから完成させて公開することになってしまった。まあこんなのいつ書いたっていいんだろうけれど流石に期間が空きすぎて内容を忘れる。

数週間ぶりに家に帰った。最近は家に帰ると近くの大きな図書館に行って本を借りてくるのが習慣のようになっている。技術書は学校の図書館で事足りるので、むしろ講談社の新書を借りることが多い。先週は図書館で「視点をずらす思考術」「今を生きるための現代詩」を借りてきた。SXSWに行く前に「『臨済伝』を読む」「ベッドルームで圏論を」を借りた。前者は結構おもしろかったのに対して、後者はほとんど読まなかった。うっかり返さないまま出発してしまい、延滞になっていたのでついでに返してきた。あと何かもう一冊借りた気がする。図書館の利用者ページからは貸出履歴が見られなかった。

本当はそれぞれの本について別々の記事にしようと思っていた。しかし、読み終わってみると二冊に対比できる部分・共通する部分がくっきりしているように感じたので両方書いてみる。

視点をずらす思考術

ハウツー本だろうかと思って借りた。そんなことはなかった。前半のいくつかの章はどこかで聞いたこと・見たことがあるメディア批判のような話が多く、しかも文体に妙にイライラさせられてしまった。読まずに返してしまおうかと思いつつ、イライラする理由もわからずに返してしまうことにどこか後ろめたさを感じたので惰性で最後まで読んだ。

後半はなんとなくすんなり入ってきた。読む前に期待していた「視点をずらす」が最後の章に少しだけあったかもしれない。結論の根拠となるそれぞれの事例のなかには新鮮なものもあった。禅寺での体験とか。「わからないことへの不安」「信仰によって生と死の価値が逆転する」これらはわかりやすい表現だと感じた。

思い出した。出発前にもう一冊借りたのは「世界の陰謀論を読み解く」だった。陰謀論も「わかりやすい」から人々に受け入れられたとか、そんな話があった。

今を生きるための現代詩

適当に選んだ本。新書はすべて同じ装丁なので背表紙を見たときの第一印象に縛られずに選ぶことができる。テーマごとに現代詩の作者と作品を紹介している本。筆者のエピソードもときどき混じる。「今を生きるための」というのはどういうことかわからなかった。それを意識せずに読んでいたからかもしれない。上の本とは逆に、最初からすんなりと受け入れられる文章だった。これが癖のないものなのか単純に自分の好みに合っていた文体なのかはわからない。

学校での現代詩の教え方についての批判があった。詩はなんでも音読して暗唱して、一義的な解釈と技法を頭に叩き込むものではないという主張(なんか抜けてるかも)。自分としては同意できた。これで詩は嫌いだった。ただ学校教育としては暗唱することそのものに何か目的があるのかもしれない。そういえば塾で「発声」という授業があって、いろいろ覚えて面倒だったなあ。

詩などの作品は作者の体験の先に創られることが多いが、これが読み手の立場になると自らの体験よりも(作者の体験と)詩が先行するということが起こる。「ああこのシーンは詩で見たぞ」みたいな。それでいいとのこと。自分はまだ経験したことがないかなあ。

ある文章が取り上げられていた。実はそれは詩集の目次で、筆者はそれを詩と捉えてしまったそうだ。でも自分も文章を見たときそう読んだ。行末に並んでいる等差数列はページ番号だった。勘違いって楽しいなあ。

効率を追求しすぎてはいないかという主張。追求してたら詩なんかまず書かないよな。最近自分はどうでもいいことばかりを考えてしまっている。少し前に知り合いと二人で歩いていたとき話の流れで「たとえば空を見て『電線ってなんで黒色しかないんだろうなあ』とか考えちゃうんですよ」と言った。これはあくまでとっさに口から飛び出た例で、言葉にした後に「あーたしかに言われてみればそうかも、考えてみると面白いかも」と自分自身で思った。それで相手の返答は「え、そりゃあ〇〇だからじゃないの?」〇〇の部分はよく覚えていない。ちょっと残念だった。例として挙げただけの回答を求めていない疑問に対してわざわざ返答されたからではなくて、あっさりと答えを提示されてしまったからだと思う。まあでもそれはこんなバカな疑問に対しては正しい返し方だし、自分も「あー、そうですかねー」と同意してその話題を終わらせた。1+1=2ぐらいの明確さを持って返してくれたので違いを感じた。自分よりは効率的な人。結局電線が黒色しかない理由はよくわからなかった。それかただ単純に自分の考えに同意がほしかっただけかもしれない。おそらく自分が誰かの疑問を正面から斬ってしまったことも何度もあるはず。

せっかく3週間後に書いているのでもう一つ例を挙げる。情報工学研究部の仮入部。「bをaで割ったあまりd」を求めたいとき、C言語ではふつう「d = b % a」と書く。しかしまだ%という演算子がわからない一年生の彼は「b == a * c + d, d < a」という形であまりを代入できないかと考えた。

当然これは動作しないが、具体的な動作ではなく制約を与えることで目的を達成するタイプのプログラミング言語は存在する(Prologとか)。なんだかわからないけれど新鮮に感じた。それで写真を撮っておいた。動かないコードなのに写真を撮って、動いたらそのままどこかに行ってしまう部長はどう捉えられただろう。

その上で、『視点をずらす思考術』で取り上げられた「わからないことへの不安」がこの本でも出現する。この不安をそのまま受け入れる、無理にわかろうとしない力はnegative capabilityという。精神科医が書いた『方法としての面接』という本では相手の言いたいこと・考えていることが「わかる」ことはつまり自分にとって馴染みがあるだけ、という説明があるらしい。馴染みがないことは「わからない」に振り分けられる。

詩の目次も黒い電線も「わからない」という能力があるからこそ考える対象になる。これを「まだわからないでいる」権利と筆者は表現している。ネタバレの話に近いようなそうでないような。

ずいぶんと分量が偏ってしまった。まあいいか。

ちなみに、「クリエイターになりたい!」も借りていた(クリエイターにはなりたいとはとくに思っていない)。過去の作曲家・歌手・文豪・画家を数種類のタイプに分けてその特徴を論ずる内容だった。これは最初の章しか読んでいないのでこの記事にも入れていない。例として挙げられる有名人の名前がジョージ・オーウェルを除いて全くわからなかったのに加え、本文中のカタカナの8割がその未知の有名人の名前だったために読む気をなくしてしまったのかもしれない。2番目の章で述べられていた(そして他の本でもよく述べられているであろう)、寝食を忘れて何かに没頭する「職人タイプ」にまったく共感できなかったのかもしれない。

…ここまで書きながらその本をパラパラめくってみると後ろのほうに納得する文言を見つけてしまった。もうちょっと読んでみたくなってしまった。困ったなあ。延長すれば返却期限はGWの終わりごろになる(GWは家に帰ってくる)が、面倒なのでその部分を含む章を読んでから返した。不思議なことに、章全体で読むとあまり共感できなかった。最初の章に比べればマシだった。ただあと数年経ってから読むべきだったような気がする。(まだ)わからない。

3/4

おとつい書いた一人部屋ポエムのURLをツイートしてみたらなぜか評判だったので何度か自分でも読み返したが結局よくわからなかった。深夜に書くのと夕方に書くのとでは言葉選びの方法が違ってくるのかもしれない。恥ずかしいのでこの記事は書いてもツイートしない。寮ネタは案外独自性があって、それでいていわゆるタブー要素を含まないのでそのまま記事にしやすい。みんなもっと書いたらいいんじゃないかと思う。実際昨日後輩が「たのしい潮寮生活」に触発されて書いてくれていた。重複している部分は省きつつ訂正を忘れないところがよかった。あんな文章よくそこまで詳しく読めたなあ。

なぜか気分が浮かなかったので外に出てコンビニで渡航に必要になるESTAの証明書を印刷してきた。マスクをつけて自分の口臭で気分が悪くなったのかもしれない。でもそれだけではなさそう。数ヶ月に一度しか行かないのに迷うことなくたどり着けるのが不思議だ。

黄色い帽子が見えた。小学生たちが勢いを無理やり面白さに転化するあの特有なしょうもない冗談とその掛け合いをするのを見て元気だなあと思った。自分もけっこうああいうのは好きでよく混ざっていたのだけれど(他の人に比べてどうかは知らない)、最近はユーモアというのだろうか、言葉の内容とか仕草で笑わせるほうがずっと好みだなあ。たぶん他の人もそうなっている。あの頃は「見ていて寒気がする」経験がテレビのバラエティ番組を除いてはなかった。

帰ってきて家のドアを締めたときに違和感を覚えた。すぐにわかった。ただいまって言わなかった。中学生までは家に誰かがいようといまいとお構いなく言っていた気がする。防犯を意識していた。 そういえば寝る前にもドアと窓の鍵が閉まっていることをわざわざ指して確認していた。寮に移ってからは確認するどころかつねに開けっ放しだというのに。やっぱり不思議だ。 うーん、1年生のときは寮の部屋に先輩がいるから言う気にならなかったのかもしれない。同じ学年ならただいまを言う習慣がもしかすると残っていたかもしれない。寮に戻ったら言ってみようかな。もう一人部屋だけど。 もしくは入寮直後はまだそこが帰る場所であるという認識がなくて言わなかったのがそのまま引きずられているとか。

書きたいだけ書いたので作業に戻る…というのは嘘で、実際は作業に飽きたら書いてそろそろ戻ろうかなと思ったら作業を再開してというのを繰り返していた。世間は休日ではないのに昼間に一気に書いてしまうと誰かに何か言われそうな気がした。周りがみんな同じ休みではないのも帰省して思い出すことだ。

こんなん書いてないで部活ブログとレポートを仕上げないといけないんだけどなー。あー。

一人部屋に移った

たまにログインしてアクセス解析を見てみると特に何もないのに急にアクセスが増えることがあって面白い。

寮の部屋移動を済ませた。待ちに待った一人部屋である。今までは一つ上の先輩もしくは一つ下の後輩との二人部屋だった。 前の入居者がなかなか出て行かなかったので荷物を運び込むのが遅くなってしまった。前の入居者について文句を言いたいわけではなくて、その人はその人で来年度過ごす部屋に住んでいる人が…というのをくり返して卒業予定の5年生が早く出て行ってくれないと動けないので仕方ない話である。閉寮が早すぎるんじゃないかと思った。

荷物を運び込んで、前の二人部屋を掃除して、新しい部屋を掃除して(一応出る人が掃除することになっているとはいえ明らかにそれほどされていなかったのでやり直した)、レイアウトというほどでもないが適当に考えてモノを収納した。同級生の助けを借りても6時間弱かかった気がする。学校でもらってきたマット数十枚を掃除機で一枚一枚吸うのが大変だった。しかしながら、一人部屋の気楽さというのは移動が終わる前から始まっていた。何をどこに置くかは(だいたい)自由で一番納得いく形になるよう工夫することができて楽しい。あくまで物理的な存在という制約が課せられているのでちょうど良い難易度というか、考えの余地になる。

部屋自体は棚のサイズが2倍になった。一人当たりのコンセントの差込口が3倍の6つになった。代わりにタコ足をどこかに失くしてしまった。それでもパーキンソンの法則よろしく両方使い切ってしまうんだろうなあ。 窓を独占できるが、建物の反対側なので新幹線ではなくB寮が見える。部屋で縦に吊るしていたカナダ国旗は他にいい場所がなかったので大胆に窓側にぶら下げてみた。B寮からはこれが見えるのだろうか。見えたらどんな気持ちになるだろうか。上下逆さにしたら気づくだろうか。

ドアを閉めると自分の目に動くものは何も動いていなくて「ああ帰ってきたなあ」という感覚がとても強くなる。大阪に住んでいたときの自分の部屋がスライド式のドアで、寮もそれと同じなのがその感じを補強しているように思える(ドアを開ける方向は違う)。 目の前に他人がいるとどうしてもそっちに気持ちが向いてしまうのに対して、なんだか居場所がちゃんとそこにあるような安心感がある。

夜中に作業しないといけないことになっても相手の迷惑を考えなくていいし、好きな時間に寝て起きられる。考え事をするときに無意識に部屋の中を歩き回っても何も言われない。どうしても人に会いたくなければホワイトボードに「作業中なので入室は後にしてください」と書いて部屋の鍵を閉めてしまえる。わざわざ夜に散歩に出なくてよくなる。散歩は多分するけど。なんか言葉にするとどうでもいいようなことのように思われそう。

一方で一人部屋になっても変わらないこともある。夜中になっても物音・話し声はするし、むしろ向かいの部屋の人がスピーカーでEDMを流している上に隣は大部屋で不吉な予感しかしない。3階なので廊下にドアが設置されておらず声がよく通ってしまう。

昨年度二人部屋になったときは「人の目がある方が勉強とかできていいかな」と思っていたが全然そんなことなかった。この発見を裏付けるためにもそれなりにうまくやっていきたい。

しかし明日には寮が閉まり大阪に帰る。さらば一人部屋…

1/23: 燃えない燃え尽き

何の技術要素もない日記を書くための場所にたまに迷ってしまう。たいていそういうものはScrapboxに投げて堆積させているのだけれど、ごくまれに利便性を考えたページのデザインが鬱陶しいなあというか内容に合わないように感じて別のもっとシンプルなデザインの場所に書きたくなる(Scrapboxもかなりシンプルなのだけれど)。ここももともと技術的な内容を載せるためのブログで、読者もそれを目的としている人が多いだろうから(たった19人ではあるが)申し訳ないなーと思いつつ面倒くさいので一旦ここに。技術的価値のある記事はこれからはQrunchに書こうとおもっているので購読解除してもらおう。

実はここ2, 3日間ほとんどプログラミングに触れていない。あるイベントの成果報告会のようなものが数日後に迫っていて、そこに向けてそれなりのデモを作る必要があった。1ヶ月ぐらい詰まっていた機能の実装が終わって、風呂に入った後さて次に移ろうとした矢先パソコンに向かう気力がない。気力がないのは甘えとか考えてみたり、スライドも作らなきゃいけないことを思い出したりしたがそれでも「なんかなぁ…」という気分になってしまう。 長い期間悩んでいるわりに成果物になるコードの変更は数十行程度しかないので悲しい。といったことを毎日考えながら修正してたら無気力になってしまった。「自分はなにをしているんだろう」というのとはちょっと違う。作業記録はわりとしっかりとってあるのでいつ何に悩んでいたかはそれを見ればわかる。また、定期試験前に似ている気分も混ざっている。「いまから何しても変わんないよね〜、かといって遊び倒すわけにも行かないなあ、一応なんかやっとかないとなあ」みたいな。何の責任もない自己満足な開発も並行するべきだったかもしれない。CTFなんかで遊んではいるが、結局それはプログラミングではないので「プログラミング向いてねえなー」というような考えを払拭できない。そろそろ突破口が見つかってほしい。ソースリーディングがわりと近い感じはしているんですけどね。

Apple Musicの3ヶ月無料体験に申し込んだ。いろいろな音楽が聴けて楽しい。日本で人気な曲のリストなんかを見ると同じ人の曲が5つぐらい載っていて驚く。とりあえず聴いてみたけどよくわからなかった。なぜかわからないがドイツのトップチャート(?)をランダム再生すると好みに当たる確率が高い。3ヶ月の無料体験が終わったら次はLINE MUSICの3ヶ月無料体験に申しこむつもりです。

これを書き始めたのは23:20ごろ。それまではずっと「情報処理」を読んだりしていた。最近なぜか学生、それもかなり若い世代で児童や生徒と呼ぶほうがふさわしい世代にターゲットしているようでコアな内容が減ってしまうのではないかと心配になっている。学会誌を読む研究者の人々はScratchで作られたゲームが1ページを専有しているのをどう思うのだろう。Scratchといえば、3ヶ月前ぐらいにHSP処理系の実装とかしてチュートリアルにまとめたら面白いかなあということを考えていて、とりあえずコンパイラ制作の面からLLVMを理解するためKaleidoscopeチュートリアルを走っていたのをついこの前再開した。チュートリアルが書きたいってのもなかなか変だと思うがこれはどこからきたのだろう。あ、Scratch関係なかった。

コーヒーを入れようかと思ったが睡眠に浅くなってほしくないのでほうじ茶のティーパックを使った。適当にスプーンでかき回せば跡形もなくなるインスタントコーヒーの粉と違って、ティーバッグはどれぐらい溶かせばいいのか、もしくはどれぐらい溶けたのかがわかりづらい。しかもこうやってディスプレイに向かって文章を書いている時点で睡眠が浅くなること請け合いなのでやっぱりコーヒーにすればよかった。

寝ます。

たのしい潮寮生活 2

高専 Advent Calendar 2018の6日目の記事です。

明石高専電気情報工学科2年のsei0oです。
高専への進学を検討している中学生や通学している同級生に寮がどんなところか知ってもらえればと思い書いたたのしい潮寮生活がそこそこ見られているようなので、調子にのって2つ目を出すことにしました。時間が空いているので、内容は結構変わっています。「潮寮」というのは明石高専学生寮の名前です。

2年生の視点で書きます。 2年生の視点で書きます。大事なことなので2回言いました。昨年からの差分を主に書きますので、上の記事から読むとわかりやすいと思います。 高専自体についてはあまり書きません。

公式も参照してください。みどころはやっぱり寮長からのメッセージかなあ。

去年は 住めば都 とか書いてたような気がしますが、最近やっぱりそうじゃないかもしれないと思えてきました。 なんとなくAdvent Calendarの昨日の記事を読むと、

明日6日目はsei0oさんの「たのしい潮寮生活 2」です。私は通生なので詳しくありませんが、寮生がゴミ回線と虚無な飯と点呼によって精神を病むのは全国共通なんですかね?うちがひどいだけ?

うーん。否定できない。

立地

まずはデータから。

  • 校内に設置されているので教室から歩いて3分
  • 1, 2, 3年男子寮のA寮(私はここに住んでいるので、ここを中心に書きます)
  • 3, 4, 5年, 専攻科のC寮
  • 女子寮のB寮
  • 国際交流センター
    • 留学生しかいない棟(たぶん)
  • 隣に老人ホームが建ったので窓からドクターイエロー見えなくなりました

部屋

昨年は203号室、今年度は209号室です。1・2年の2人部屋で、向かいは3年生の一人部屋。 相変わらずオタクです。本棚の本をひっくり返して背表紙が見えないようにすると脳のエネルギーが節約されて快適です。 二人部屋だとだいたい2年生が冷蔵庫を買って1年生と共同で使うので、前の同部屋の先輩と同じものを買いました。 Abitelax AR-100E

後方確認

結構気分で机周りのレイアウトは変えていて、机の上にいろいろ部品を載せて開発するときは灰色の机を90度回転して黒い机と合体してL字型のようにしていました。

改修

夏休みに、2F, 3Fのそれぞれ8部屋が改装されました。そこだけキレイ。 こんな感じで境界がくっきりしています。なぜかその両脇に設置された消火器はさながら国境警備隊のようです。見てわかる通り、手前が歴史のある地区、奥が改装された地区です。

ドアに高専プロコンのポスターを貼る高専生の鑑。

なんでもタイのなんとか王女なんとか高校から留学生を恒常的に受け入れるそうで、2・3階の1人部屋が「交流スペース」になったり、寮生ホールにユニットバスが設置されたりそこそこ大きな改修がありました。1人部屋にいた人はどうなるの?ということですが、かつての談話室が2人部屋に改装されてそこに新たな1年寮生と1人部屋の2年生が入っています(今年は1年生の入寮希望者が多くて入学と同時に入寮できない人がいました)。1人部屋を追い出された2年生は若干気の毒ですね(他人事)。

「交流スペース」を利用している人はほとんどいませんテスト前になると使う人が増えました。でも先輩が通ったら作業中でも挨拶しなくちゃいけないことになっています。

また、新しいシャワー室と洗面所ができました。まだきれい。

生活

今年の1年生が利口なのか、指導寮生(寮生役員会)が軟化したのか(たぶん両方)今年は入寮後に1ヶ月ほど大声挨拶があったあとは復活していません。ありがたい。

今年の2年寮生は多いので2人部屋に収まりきらず、1人部屋になる人も出ました。進級するときにじゃんけんで確か決めたような記憶があるのですが、話し合いでボケーッとしていたら私は2人部屋になりました。1人部屋になって監視の目がなくなると生活崩壊まっしぐらなので丁度良いです(言い訳)。

昨年は「同部屋の先輩」でしたが、今年は「同部屋の後輩」。都市システム工学科(C科)の1年生です。 プライバシーにうるさい時代なので詳しくは書きませんが、私は朝型であるのに対し彼は夜型(徹夜型)です。試験期間になると消灯がなくなり彼が徹夜で課題をするので、私は耳栓とアイマスクをして寝ていました。 あとはエアコン。私は28度で使って、暑いときは26度まで下げるのが普通だと思っていましたが、ある日部屋に入ると突き刺すようなひんやりとした感覚があったのでリモコンを見てみると「18度」。聞いてみたところ、部活の後は暑くて28度ではやっていけないらしいです。28度に戻しても気づかないうちに温度が変えられているので上着を羽織って凌いでいました。他の部屋に枕を持って疎開したことも何度か。 エアコンの温度を下げるにつれて私の就寝時間が早くなり、起床が遅くなるらしいです。試されてたのか…

今年だけの話とはいえ、工事も個人的には結構負担でした。土日でもお構いなくカンカンカンカン聞こえるので、部屋の中ではずっとイヤーマフか耳栓をしていました。試験前やプロコンなどでピリピリしているときは、工事でなくとも同部屋の喋り声・口笛だけでもイライラします(ごめんな…)。余計な衝突を避けるためにも 一人になる方法や五感を遮断する方法は作っておいたほうがよい です。自己管理大切。常に周りに人がいる状態は一人っ子にはつらい。 図書館にこもって作業するのもオススメです。学校の図書館と明石市の西部図書館が近くにあります。西部図書館には苫米地英人の本が置いてあったこと以外覚えていませんが、学校の図書館には「CPUのつくり方」みたいな専門書も結構置いてあって良いです(良い)。

これくらいかな。あっ、(男子の) 風呂 を忘れていましたね。半年以上前にレジオネラ菌が発生した影響で毎日18:00ごろから数回消毒液のようなものが浴槽の壁から出てくるのですが、これが臭い臭い。ときたま身体が痒くなることもありますがこれは多分気のせい。1,2年生は17:30からしか風呂を使えないので、18:00までの30分が鍵となります。20:00ぐらいに行けば臭いは薄まっているでしょうが、その時間帯はすでにお湯がヌルいんだよなぁ… 早く改善されることを祈るばかりです。

…嘘です。新設されたシャワー室しか使ってないのでもうどうでもいいです。元来シャワーだけというのは好きではありませんが、静けさと部屋からの近さを考えればシャワーの圧勝です。実際、同じ階の人の半数近くがシャワーのみで生活しています。

人間関係

少なくとも通学生に比べれば寮生は親密になります(多くの場合)。私はそうです。 いろいろチームで課外活動をするにあたっても、寮生なら直接部屋に突撃して進捗を強要できます。SlackとかDMで連絡してもスルーする人いるからねえ(自戒の意味を込めて)。

他の部屋の一年生には「209仲良いっすよねえ」と言われるのでそれなりにうまくできているんでしょう。「1年生、入寮直後は不安だろうなあ」と思ってたくさん私のほうから話しかけたのはあるとはいえ…。他の2年生から話を聞くと、「ほとんど話してない」「何考えてるかわからん」というのもあるので、相性ばかりはどうしようもないです。でもそんなときは他の部屋に篭もれば大丈夫です。 バーチャルCTF班などと題して夜に部屋に集まって情報工学研究部CTF班の活動をするなどというのは楽しいです。こうでもしないと人が来ない

まとめ

いろいろ書きましたが、なんとかするぞという意志を持てばなんとでもなります。 寮務や先輩、同級生に相談しつつ反抗的な態度を取らなければ十分快適に寮生活が送れます。

高専アドカレ、明日は@lz650sssさんが「高専生はもっと積極的に勉強会に行くべき」という記事を書かれるそうです。

そういえば12/16の大和セキュリティでキャンセルが出たので、久しぶりに勉強会に行けます。わーい。明石高専IT系勉強会も引き継ぐことになったので続けていきたいですねー。

最近、数学の授業・同部屋の後輩の鼻歌・寮の放送などにイライラしてしまう。

たとえば数学の授業では「アクティブラーニング」と題して、授業中に4人のグループになって教え合うということをしている。これをすると自分含めてみんなが授業中に話すので必然的にうるさくなる。また、たまたま授業中に立ち上がって近くの席の人とじゃれ合っている人がいる。

今日はいつもと違ってそれらの雑音に対してすごくイライラした。それはどうしてかというと、おそらく開発の状況が思わしくなく(来週末までになんとかしなければいけない)、テストがその締切のすぐ後から始まる。この2重の焦りが原因。逆に、締切がないなど特にストレスを感じていない日は騒音があってもある程度はそれに加わったり楽しんだりできる。

昼休みも食堂がうるさくてつらかった。こちらでは喋り声というより椅子を引っ張る音・厨房で水を流す音が目立っている。

そして、ちょっと時間が経って静かな寮の部屋に戻ったり(今日の昼休みは2限終わりの1年生がゲームしてて全く静かではなかったけれど)、比較的静かな外に出たりして時間を過ごすとそういう気分が吹っ飛ぶ。ちなみに、この記事を書こうと思ったのはそのイライラしていた時間帯なのだけれど、実際に書いているのはイライラが静まった後でなかなか気持ちを思い出すのが難しい。

とはいえイライラの原因は音だけではないように思える。音ではなく誰か同級生などが話している声の場合、それによって他者の存在が入り込んできて刺激されているような気もする。みんながキャッキャ騒いているのがなにか自分の焦っている心理状態と対比させるものがあって、そこでズレを感じている。誰かの話し声が聞こえると「あああの人はどういう部活でどういうことをしているからこういう話をしていて...」というようにパタパタと思考が展開されてしまう。他人のこと考えてもしょうがないんだけどなー。騒音というより単純に自分の嫌いなものに弱くなっているということだろうか。

ところで、声のなかだと笑い声が結構感情に来る気がする。「おれはこんなに苦しいのに...あいつは〜」みたいなそういう嫌な気分になってしまう。自分はこういう発言嫌いだから口には絶対しないんだけど、感情は素直だ。対して怒鳴り声はこう、もっと理屈抜きでくる感じ。笑い声は押しつぶされる感じで、怒鳴り声は飛び上がる感じ。ついでにいうと高い声も嫌だなー。

で、そうやってイライラすると目の前の作業に集中できなくなってまた落ち込んでしまう悪循環に落ちてしまうこともしばしばある。こんな気分に負けないぞーと自分のやっていることを頑張る気持ちに変換できるときもまあまあある。結局はよくわかっていない。

常に耳栓を持ち歩くのが対策になる。たしかに耳栓はつけていて心地がよいものではないし、仕様上人の声を完全に防げるようにはなっていない。 しかし、最近では自分が焦っているのを喧騒に浸かってイライラすることで実感している節がある。つまり、事前に「今日は自分焦っていてイライラしてそうだから耳栓持っていこう」というアプローチがすでに使えないものになっているということ。かといって耳栓には耳栓の問題があって、イヤホンと同等の刺激が耳に与えられることによってむしろ脳内に音楽=雑音を流してしまうということもある。

ここ1週間ぐらいは静かな公園に行きたいなと思っていた。もちろん車なんかは走っているけれどそれでも夜だとかなり少ない。知っている人もいないし。明日がちょうど勤労感謝の日で休みなので今日の晩行ってみてもいいんじゃないかと思っている。作業できるようにラップトップを持っていこう。充電フルで行って、なくなったらそこで作業終了。帰るなりぼーっとするなりは電池が切れてから決める。でも今日のプログラミングの授業中に久しぶりにモニタなしで作業して、デバッグがまともにはかどらないということがわかったし、ネットがないのはつらいので適当にぼーっとするだけして帰るかもしれない。

ここまでの内容をすべて台無しにするようなことを書くが、騒音を理由にして自分が作業をサボりたいだけなのではないか?と疑ってしまうこともしばしばある。「こういうの嫌だな〜」という感情や反応は捉えづらいが、ある時間で何をしていたかというのはライフログをつけているおかげでわかりやすい。問題集の進むペースが遅くなったりするといった結果だけを見るとやっぱりそう思ってしまう。自分を疑ってしまったらなんにもできないんだけど、うるさい音が嫌いであるという自己認識を作り上げるようにように深層心理がつじつまを合わせる・感覚器官の情報を表層的な脳に伝える際に割り込みを掛けて増幅しているのではないか・・・と疑ってしまう。無理やりにでも自分はそこまで怠慢ではないということにして、それを信じることが大切というか必要というか...そう、効果的なのかもしれないが、それができるとは思えない。

上にも書いたようにイライラするとそれだけで作業が手につかなくなってしまうので、ぼちぼち抑えられるように積極的に工夫していきたいなあ。

高専祭に行った

今年も高専祭に参加した。「今年も」というか高専に在籍している限り参加するのが普通なんだけれど。

自分がいる2Eの展示は「電子射的」だった。ダンボールとロッカーで作った暗室の中で、レーザーポインタを使った銃を的に向かって撃つ。そしてどれだけ速く5つの的を打てるか、というゲーム。

システムは3, 4人で実装した。 Arduinoに受光部と判定を示すLEDを接続し、それとシリアル通信をするRaspberry Piが同じLAN内にあるWebサーバにHTTPでタイムを送信する。そのWebサーバにPCからアクセスしてHTML/CSSで作ったスコアボードを外部ディスプレイに表示するという仕組み。自分はRaspberry Piまわりを作った。面倒だったのでプロコンで使ったものを流用した。シリアル通信をするのは初めてだったので楽しかった。GPIOに接続することでログインできることも初めて知った。SSHが使えないときに便利そう。

情報工学研究部のほうではライブコーディングをする予定だったが、Macが充電できなくなって実演できなかった。Passを使ってLLVMを拡張して遊ぶというテーマでやる予定だった。事前に練習しておこうと思って朝4:30までリファレンス見ながら手を動かしていたのでちょっと残念だった。でもLLVMは楽しいのでもっと触りたい。

展示場所の一角にドライバーを持ってきてMacの裏蓋を外し、中のバッテリーを取って放電させてみた。修理の場面も展示の一つにしてみると案外人が寄ってきて結果的にはよかった…? 放電しても直らなかったので原因は断線しかけた充電ケーブルのほうにあると結論付けて諦めた。本当に暇になってしまったので裏蓋を外したままのMacを置いてニコニコ座っていた。

1日目は16:00ごろに帰ってすぐ寝た。13時間ぐらい寝た。起きた時の気分が最悪で「行きたくねえ〜〜〜」って感じだった。

2日目の朝は大声大会に参加した。全学生にメール誤送信したアレ。「Windows Update」をメインステージで叫んだ。Windows使ってないけど。血圧なんかも測られた。心拍数が100越えてて驚いた。落ち着け。

後夜祭の会場に入ろうとするも、思った以上にライトが過激でうろたえてしまった。サングラスを取りに寮に行き、戻ってくると会場のドアが閉められていたので入れなかった。大人しく戻って部屋の片付けをした。すっきりした。後で同級生と夕食に行った時に聞いたのだが、風船を割るパフォーマンスがあったらしい。行かなくてよかった〜。

高専祭実行委員会の人が大変そうだった。ありがとうございました。